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【書評】『十九歳の地図』 中上健次 河出文庫

 19歳。確実に子どもとは言えないが、大人ともまた言い切れない、微妙な年齢である。実にモラトリアムな、この19という年齢に、何を感じるだろうか。




 本書の主人公は19歳の予備校生「ぼく」。だが、「ぼく」は予備校に通わず、新聞配達のアルバイトに明け暮れる。何かを成し遂げたい、という野望を持つものの、受験勉強も放置し、目標の無い毎日を送っている。肥大した自意識と、出口がないかのような泥沼と化した鬱屈。「ぜつぼうだ、希望など、この生活の中にはひとかけらもない」。それと背中合わせの破壊衝動は、今にも爆発しかねない危うさをはらむ。新聞の配達先からほとんど無差別的に選び、その家に嫌がらせじみた行為をすることで、「ぼく」は衝動を紛らわせる。それでも気は晴れず、その陰は一層濃くなっていく。

 本書は著者の初期作品である。粗削りな面が多々存在することも事実だ。しかし、それを補って余りあるほどの熱量が、極めて密度の高い文章を作りだすことに成功している。それゆえ、本書は著者の代表作にも決して劣らない、強烈な魅力をもつ。

 地の文は読点を出来る限り排して紡がれ、その中で「ぼく」は露悪的かつ冗舌に語る。それでいて表現は繊細だ。例えば、退屈を持て余した主人公の、「腹がくちくなり眼がとろんとなるほどぼくを充分に満足させるものはなにひとつもない」という語り。強い響きを持つ言葉はなく、また漢字の使用を抑えることで、若さゆえの不遜とそれに対する陶然を浮かびあがらせる。

 その一方、ナイフのように鋭く冴えたものもうかがえる。次の文は、新聞配達のアルバイトをする自分を犬に例えた後に続く。「この街を、犬の精神がかけめぐる」。活力に満ちたみずみずしいまでの若さと、目のくらむような爽やかさを感じさせる、秀逸な表現である。物語の展開を追うだけでなく、じっくりと文章を味わいたくなるだろう。

 そして終盤、「ぼく」の鬱屈と衝動は解消しないまま、その攻撃性が露になっていく。目に映るもの全てに毒を吐き、理不尽な怒りをぶつける。その怒りは、手当たり次第に脅迫電話をかけ、東京駅に架空の爆破予告をし、人に面と向かって「死ねばいい」と吐き捨てるまでに至る。転がるように落ちていった「ぼく」はその最後に、闇の果て、暗がりの底に触れる。その触れた瞬間、「ぼく」は闇の向こう側にある、微かな光を掴む。それは、一見意味もないほどに弱いものなのかもしれない。だがそれは、実のところ何ものにも代え難いほどの輝きを有している。そして底にまで落ちたことのある者だけが、その光を掴むことができるのである。
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