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【紀行】ロシア語を学びにキルギスへ ~行って衝撃!日本と似た人と街~

 9月4日から28日にかけて、私はロシア語を学ぶためにキルギスに滞在した。訪問した都市は首都のビシュケクとイシククリ湖のほとりにあるカラコル。旧ソビエト連邦の風景の中に遊牧民の文化が色濃く溶け込む場所だ。




 キルギスは中央アジアの西側にある国で、大きさは日本の半分ほど。山岳地帯が多く、そのおかげで水に恵まれている。公用語はキルギス語とロシア語。主要な産業は農業、サービス業で、GDPの多くはロシアやカザフスタンなどへの出稼ぎによる仕送りでまかなわれている。また、旧ソ連の構成国の一つであり、独立後は中央アジア初の民主主義国家となった。

 成田から20時間を経てビシュケクに到着した。ビシュケクの街は旧ソ連時代の建築物が数多く残っており、風景だけ見ると、東ヨーロッパの街並みのようにも見える。道は舗装されてはいるものの陥没している場所が多く、風景に見とれて何度かつまずいてしまった。治安は中央アジアの中では良い方らしいが、南部ではキルギス人とウズベク人の対立が深刻であり、到着する数日前にもウズベク人系のテロ組織が事件を起こしていた。

 街中ではキルギス人、ウズベク人、ロシア人、インド人など多種多様な人々が歩いており、生まれてから日本人とイタリア人くらいにしか会ったことがなかった私は大きな衝撃を受けた。中でもキルギス人は非常に日本人に似ている。元々、日本人はバイカル湖周辺で発生したと言われており、キルギス人が発生した場所と近い。また、キルギス人の伝承では、「キルギス人と日本人は昔兄弟であり、肉が好きなやつがキルギス人に、魚が好きなやつが日本人になった」とされている。そのため、私は何度かキルギス人に間違われ、道を歩いている人にキルギス語で道を聞かれることもあった。

 キルギス滞在中は、キルギス共和国日本人材開発センターでロシア語とキルギス語の授業を受けており、その間、ビシュケク市内の3姉弟が暮らす家庭にホームステイしていた。ステイ先で生活してみると、私はたびたび既視感に襲われることとなった。というのも、私は秋田県出身なのだが、キルギスの雰囲気や文化がとても秋田によく似ていたのだ。

 キルギスでは客人に対して料理を大量にふるまい、まるでそれしか言えなくなったかのように「食べろ」と言い続ける。一方、秋田では客人をもてなす際はテーブル一杯に料理を並べ、「け(食べろ)」と連呼するのが一般的だ。また、キルギスではお茶の時間が大切にされているが、秋田でも「お茶っこ」の時間が大切にされている。

 さらに、キルギスでは「マナス叙事詩」に登場する英雄・マナスが尊敬されているのに対し、秋田では藩主の佐竹氏が非常に尊敬されており、現在も秋田を治めている。このほかにも、道行く人がよく話しかけてくれることや、どう考えても消費できないような量のお土産をくれることなど、多くの共通点が見受けられた。そのおかげか、あまり違和感もなくキルギスの生活に溶け込むことができた。

 ロシア語を勉強していただけではなく、観光に行く機会もあった。イシククリ湖周辺にあるカラコルでは、中華料理に似ているドゥンガン料理に舌鼓を打ちつつ湖水浴を楽しんだ。イシククリ湖は世界有数の透明度を誇る湖であるため、観光地として非常に人気がある。ホストファミリーの実家に行ったときは近所の子どもたちと仲良くなり、一緒にブルース・リーの真似をして遊んだ。

 そうこうしているうちに、あっという間に最終日となってしまい、日本へと帰国した。余談だが、キルギスには非常に脂っこい料理が多く、日本から渡航した人はよくお腹を壊してしまう。私も体調を崩してしまい、あっさりした日本食がとても恋しくなっていた。そして、私は帰国早々「油そば」を食べたのだった。
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