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総長特命教授合同講義「死と生を科学する」 ~幅広い専門から考察~

 総長特命教授合同講義「死と生を科学する」が、先月20日、本学マルチメディア教育研究棟で行われた。多くの学生が訪れ、会場は盛り上がった。




 本講義は、前半は3人の教授による講義、後半は講義を行った3人を含めた計11人の教授陣と会場にいた学生による討論の2部構成。登壇したのは、本学教養教育院の鈴木岩弓総長特命教授、生命科学研究科の田村宏治教授、岩手保健医療大学の清水哲郎学長。それぞれが自身の専門分野の観点から死と生に関する講義を行った。

 宗教民俗学と死生学を研究する鈴木教授。講義のテーマは「生と死の宗教文化学」だ。

 生と死は人知を超えたところで定められる真理と考えられることが多い。しかし、脳死における死亡判定や人工妊娠中絶の可能な期間の基準といった生と死の線引きは、地域によってさまざまだ。生の始まりの解釈も宗教ごとに違う。もちろん、宗教による生の定義は医療における定義と一致するとは限らない。このことから、鈴木教授は「人間にとって、生と死は自分自身で決め、変えられる文化であることを知ってもらいたい」と語った。

 また、日本では生きている間に経験する儀礼と死後に行われる儀礼には関連性があることが示された。鈴木教授は日本人の死生観を円環的でありながら循環的要素をもつものと述べた。

 動物発生学が専門の田村教授は、生物学の「生物の命は全て等価である」という立場から、生は一瞬で死はプロセスであると語る。生のはじまりは精子と卵子が受精し受精卵が誕生することによる瞬間的なものである。

 一方、死は瞬間的なものではない。多細胞生物の細胞が一斉に活動を停止することは考えにくい。各々の細胞が死に至るまでには時間差があるため、死をプロセスと表現できるのである。田村教授は、「人間は単にヒトであり、生物として特別な存在ではない」と学生に向けて話した。

 哲学と死生学が専門の清水学長は、「生死の文法・文化・臨床」をテーマに講義を行った。英語のdie・dead、日本語の生きている・死んでいるといった生と死をめぐる言語に注目し、状態の変化としての死と不存在化としての死の違いを指摘。さらに死後に「あの世」といった別の世界に移り生き続ける別世界移住説の成立や、死後復活する現世内不活性化説について紹介した。

 死を単なる生の終わりではなく、「生の最終部分」「人生の物語の最終章」と考える清水学長。最後に、本講義について、「人間の生死については、誰でも自分自身で考えることができるのだから、ぜひ自分で考えてみてもらいたい。今回はその例を提示することができた」と述べた。

 後半の討論では、学生からの質問を通して議論が行われた。討論に参加した教授陣の専門は建築環境工学、哲学、生体医工学など多岐に渡り、学生からの質疑に対し、さまざまな視点から回答が寄せられた。教授のみならず多くの学生が積極的に発言し、活発な討論が行われた。

 学生は皆、講義・討論ともに熱心に聴いていた。死と生への知的好奇心をくすぐる講義であった。
講演会 3324384734226184254
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